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軽貨物運送業 代表ストーリー ④上京

 いつもご覧頂きまして誠に有難うございます。本日もあなたの日常に少しのプラスを。                     

 横浜市都筑区にて軽貨物運送業を営んでおります。合同会社 キャリーブルーム 山根です。

 

東京スカイツリーー富士山

 

 知ってたつもりでしたが、求人広告って誇大表記が当たり前なんですね。  

 

 田舎物が40歳を手前にして東京に出てくるのに流石に少しビビりました。私の好きな矢沢永吉さんは上京して初めて降り立った地は横浜だったと聞き、その成り上がり人生に少しでもあやかろうと私も横浜に住まいを構えました。

 

 東京で勝負すると啖呵を切って出てきたものの十分なお金を持ち合わせている訳でも無く、求人誌に噛り付き稼げそうな仕事を隅々までチェックしました。とにかくお金を稼いで居酒屋でも開こうと考えていた私が見付けたのが軽貨物の宅配業でした。

 

 配属先は某大手運送会社で売上額30万~70万と表記してありました。実は過去に家電製品の配達据付を主とする会社に足掛け7年程在籍していた経緯もあり、比較的上手くやれそうな印象を受けました。もちろん売上げは上限を狙っていこうと考えた訳ですが今考えると有り得ない額でした。

 

 仕事に関して適性はありました。宅配は1軒1軒地図とにらめっこしながら調べ出し場所を覚えなければなりません。時間指定や再配達の情報を整理しながら日に120軒~150軒を捌いていました。こなさなければならない仕事量が多い為早々に辞めていく人も多い中、私は目まぐるしく忙しいといった仕事には耐性があったのでそれなりに楽しんでいました。しかし条件的にはかなり厳しいものがありました。

 

 朝6時半に着車して1日中休憩も無く動き回り、夜は22時近くまで。これだけでも長時間勤務なのですが倉庫に帰ってからも持ち戻りの処理をしたり代引きの入金をしたりして、帰る頃には日付が変わっているなんてことも多々ありました。何度も体調を崩しながら週6日の勤務をギリギリでこなしていました。しかし委託契約だったので支払いは1か月後。おまけに長時間働いていたにもかかわらず売上は30万そこそこ。食べてはいけるがお店を開く為の貯金までは到底無理でした。

 

 騙されたと思った頃には後の祭りです。私はさながら出口の無い無限ループの中に嵌ってしまった様な焦燥感を抱き、上京してきたことを後悔しました。そして都会という得体の知れない場所が大嫌いになりました。それに付随する様にこの業界にも不信感を抱く様になりました。  

 

 結局1年間在籍しましたが状況は変わらず、それどころか人事異動でより荷の薄いエリアへ配属になった為その会社とはキッパリけじめを付けました。その後に契約した会社で私は軽貨物運送業者として会社を興して独立するという人生の方向性を知ります。

 

 その会社はフランチャイズのグループに属していて仕事量は豊富。ノウハウもあり何かあればいつでも相談に乗ると頼もしい言葉を貰いました。そして何より軽貨物の場合は初期投資を限りなく低く抑えられるところが何より魅力でした。ここで挑戦しなければ何の為に出て来たんだ!!という思いで軽貨物運送業で勝負する事を決めました。そしてこの会社から業界の仕事の種類や請け方、運送料の相場など軽貨物運送業の経営に必要な基本的な部分を学ぶことが出来ました。

 

 この続きは次回です。