代表ストーリー

軽貨物運送業 代表ストーリー ⑤独立

 いつもご覧頂きまして誠に有難うございます。本日もあなたの日常に少しのプラスを。                     

 横浜市都筑区にて軽貨物運送業を営んでおります。合同会社 キャリーブルーム 山根です。

 

 

独立

 

 雑草の様に踏みつけられました。  

 

 私は希望に胸を膨らませながら事業をスタートさせましたが、蓋を開けてみると一向に仕事の案件の情報をくれる気配がありませんでした。グループ企業で仕事はいくらでもあると言われ安心していましたが、仕事が無い事にはドライバーを雇うことも出来ません。相談しようと電話しますがレスポンスが悪く何日も連絡が取れないなど、不誠実な対応が続きました…「また騙されたのか。」

 

 実際この業界は過去に裁判沙汰になったなんて話は良く聞いていましたし、結局はフランチャイズのロイヤリティー目当てに話を持ちかけられたんだと理解するしかありませんでした。仕方なく私は手探りで仕事を提供してくれる業者を探しました。

 

 しかし最初からしっかりした業者と取引できる訳ではありません。会う人会う人良い話をしてくれますが、実際の仕事となると比較的過酷で運賃も安く割に合わないものばかりでした。

 

 結局何処も一緒で、如何にして利用してやろうかとしか考えていないんだ…。私はそんな現実に辟易し、ついにこの業界が大嫌いになりました。そこで私はやっと気付きました。回りは敵だらけで世の中は弱肉強食の世界だということに。

 

 あれから2年と4ヶ月、決して楽だった訳ではありませんが何とか少しづつ契約ドライバーも増え、昨年9月の法人化を経て今に至ります。度重なる困難にもめげずに挑戦して来れたのは心の奥底に息子の存在があったからでした。 もう彼に直接的に何かをしてあげることは出来ませんが、それでも私が唯一彼にしてあげられる事は一生懸命に生きる事だけです。

 

 起業して分かった事があります。それは社会の中で何かの役に立つ為に一生懸命努力する事が自分自身の存在意義にも繋がる、という事です。この事をいつか彼に伝え父として認めてもらう為には、この軽貨物運送業での成功に賭ける事しか今は考えられません。更には、私はこの業界と出会い起業する事が出来なければ今頃何をしているか分かりません。他に何かあるかと考えても現実的には出て来ません。是が非でも成功して、きっかけを与えてくれたこの業界に恩返ししたいと考えています。

 

 

 

軽貨物運送業 代表ストーリー ④上京

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東京スカイツリーー富士山

 

 知ってたつもりでしたが、求人広告って誇大表記が当たり前なんですね。  

 

 田舎物が40歳を手前にして東京に出てくるのに流石に少しビビりました。私の好きな矢沢永吉さんは上京して初めて降り立った地は横浜だったと聞き、その成り上がり人生に少しでもあやかろうと私も横浜に住まいを構えました。

 

 東京で勝負すると啖呵を切って出てきたものの十分なお金を持ち合わせている訳でも無く、求人誌に噛り付き稼げそうな仕事を隅々までチェックしました。とにかくお金を稼いで居酒屋でも開こうと考えていた私が見付けたのが軽貨物の宅配業でした。

 

 配属先は某大手運送会社で売上額30万~70万と表記してありました。実は過去に家電製品の配達据付を主とする会社に足掛け7年程在籍していた経緯もあり、比較的上手くやれそうな印象を受けました。もちろん売上げは上限を狙っていこうと考えた訳ですが今考えると有り得ない額でした。

 

 仕事に関して適性はありました。宅配は1軒1軒地図とにらめっこしながら調べ出し場所を覚えなければなりません。時間指定や再配達の情報を整理しながら日に120軒~150軒を捌いていました。こなさなければならない仕事量が多い為早々に辞めていく人も多い中、私は目まぐるしく忙しいといった仕事には耐性があったのでそれなりに楽しんでいました。しかし条件的にはかなり厳しいものがありました。

 

 朝6時半に着車して1日中休憩も無く動き回り、夜は22時近くまで。これだけでも長時間勤務なのですが倉庫に帰ってからも持ち戻りの処理をしたり代引きの入金をしたりして、帰る頃には日付が変わっているなんてことも多々ありました。何度も体調を崩しながら週6日の勤務をギリギリでこなしていました。しかし委託契約だったので支払いは1か月後。おまけに長時間働いていたにもかかわらず売上は30万そこそこ。食べてはいけるがお店を開く為の貯金までは到底無理でした。

 

 騙されたと思った頃には後の祭りです。私はさながら出口の無い無限ループの中に嵌ってしまった様な焦燥感を抱き、上京してきたことを後悔しました。そして都会という得体の知れない場所が大嫌いになりました。それに付随する様にこの業界にも不信感を抱く様になりました。  

 

 結局1年間在籍しましたが状況は変わらず、それどころか人事異動でより荷の薄いエリアへ配属になった為その会社とはキッパリけじめを付けました。その後に契約した会社で私は軽貨物運送業者として会社を興して独立するという人生の方向性を知ります。

 

 その会社はフランチャイズのグループに属していて仕事量は豊富。ノウハウもあり何かあればいつでも相談に乗ると頼もしい言葉を貰いました。そして何より軽貨物の場合は初期投資を限りなく低く抑えられるところが何より魅力でした。ここで挑戦しなければ何の為に出て来たんだ!!という思いで軽貨物運送業で勝負する事を決めました。そしてこの会社から業界の仕事の種類や請け方、運送料の相場など軽貨物運送業の経営に必要な基本的な部分を学ぶことが出来ました。

 

 この続きは次回です。

軽貨物運送業 代表ストーリー ③行動

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行動

 

 行動だけが現実を変える。

 

 それから私は変わるためにいろいろな挑戦を始めました。高卒で劣等性だった私は本もろくに読めませんでしたが、実用書を中心に噛り付く様に読み漁ったり、当時働いていた居酒屋でも店長を引き受け、積極的に上に立って皆を引っ張る努力をしました。難しい資格試験にも挑戦しました。

 

 そうして離婚から5年間が経ち、その間様々な努力をしたつもりでしたが立場的にも経済的にも成功しているとは言い難い状況でした。結果的に何一つ変われていない自分に半ば失望していました。私はこのまま何者でもない人生を闇雲に過ごしていくだけなのか。考えたくない感情が頭の中を巡りました。

 

 そんな時ふと同僚の言っていた言葉が頭を過ぎりました。「人が変わる為に必要なものは、環境を変える事と感動を得る事だ。」

 

 私は長男でしたので、周りは皆私がこのまま実家を継いでいくものだと思っていました。しかし当時父親はまだ生前で病気の為自宅療養していました。加えて母も歳のせいか長年勤めていたパートにも行かなくなっていました。私も自分が食べていく収入を得るだけで精一杯でしたので先の事を考える余裕さえありませんでした。

 

 このままだと全てがジリ貧だ…と感じた私は賭けに出る事にしました。

 

 経済的に何かのチャンスを得ようと思えばよりお金が回っている地域に身を投じるしかない。後は自分次第だ。例えるならカナズチの人が自ら海に飛び込むようなものです。しかしそこで必死にもがいて苦しんで泳ぎを手に入れることも出来ます。無我夢中で勉強し働いた5年という月日と、息子への強い思いが私に根拠の無い自信を持たせていました。

 

 そうして私はそれまでの自分を全て捨て、38歳という年齢で上京したのです。

 

 続きは次回で!

代表ストーリー ②誓い

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誓い

 

 あなたは心に誓った事ってありますか?

 

 まずお話しなければならないのは、なぜ38歳にして上京したのかという点です。世間的に38歳と言えば、大多数の男性は既婚で子供はある程度大きくなり仕事でもそれなりのポストに就いているといった状態ではないでしょうか。

 

 もうお気付きでしょうが私の上京の理由は簡単です。そんな世間一般の平均的条件を持っていなかったからです。いい年をして社会的に認められるものを何も持っていなかった私は、同世代の人生順調であろう彼らが言葉に出来ないくらい羨ましかったのです。ですから、そんな自分でもチャンスを掴んで成功するには上京しかないと思い無謀にも体一つでやって来たんです。

 

 しかし理由はそれだけではありません。もっともっと強く私の行動を後押しした要因があります。それはどんな事なのか。少しプライベートな事になりますが良かったら聞いてください。

 

 私は33歳のとき離婚をしました。離婚の原因は細かい事を挙げると切りがありませんが、私が経済的に乏しかったことがその後の関係を壊していく一番の原因でした。

 

 当時、私達には一人息子がいました。その子は元妻の方に引き取られて行きましたが、私はどうしても息子と離れるのを受け入れる事が出来ませんでした。目に入れても痛くないと本気で思えたくらい愛おしかった彼に寂しい思いをさせたくない。そしてこのまま彼が大きくなった時、私はどう思われるのだろう。そう考えるとどうしても現実を受け入れる事ができなかったのです。

 

 幸せだった頃の思い出が頭にちらつき、夜も眠れない日々がしばらく続きました。そして藁をもすがる思いで一つの答えを出しました。それまでの自分を反省し身も心も別人のように変わって成功すると決めました。そうすれば息子も私の事を父親として認めてくれるかもしれないと考えたからです。

 

 しかしそれが出来る保障などは全くありません。それどころか息子との再会が何年後になるか分かりませんし、お互いどんな状況になっていくのかも想像さえつきませんでした。それでも私は息子の為に変わる事を固く心に誓いました。たとえ報われ無くとも、あの時抱いていた愛情だけを頼りに彼の為に生きることを決めました。

 

 次に続きます。

代表ストーリー ①プロローグ

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宍道湖夕日

(写真:島根県松江市宍道湖の夕日。日本夕日百選にも選ばれている絶景で、「水の都松江」の象徴になっています。)

 

 弊社代表 山根 学は、昭和47年11月7日島根県松江市にて生まれました。

 戦後ベビーブームの第2世代。丁度日本経済が安定成長期だった頃、2人兄弟の兄としてすくすくと育ちました。地元の工業高校を卒業し、滋賀県の大手エアコン会社を経てUターンし、飲食業や家電配送業を仕事としながら29歳のとき結婚し男の子を授かり、順調な人生を送っていました。

 しかしそんな生活は長くは続きませんでした。

 私はある理由から38歳のとき、上京することになります。

 その理由とは?次の記事にて明らかにしていきます。